どうも、もっさんです。
日々、おつかれさまです。

きましたね。
大胆にも生と死についてです。
めちゃくちゃ繊細なフレーズですが、
だからこそ今のうちにサクッと、上手く揚がったカニクリームコロッケの如くサクッと、つづりたいと思います。
(ちなみにコロッケを揚げたことはなく、僕はカニアレルギーです)

さて、僕は二十代の中盤まではカニアレルギーが無かったのですが、実家で正月だか何かの時に「たまにはね」と贅沢にカニを終始無言で食べた時、じんましんが出ました。
当時、食べ物のアレルギーって自分の身体がその食材を摂取する量の飽和を迎えた時に起こるとかって聞きました。
ちゃんとカニを食べた記憶なんか回数としては両手で足りるほどしかなかった僕は、自分の人生におけるカニが満たされ飽和するまでのキャパがめちゃくちゃ少ないことに驚愕したものです。
(※今は後天性のアレルギーについて、色々と原因が解明されてきてるようです)

さて、僕らうつー人にとって『死』ってすごい身近ですよね。
まぁ『死』だったり、『無』とか『消』とかだったりしますけど、とにかく身近。
人間の誰しもすぐ隣にあるものではありますが、
うつー人はその辺に関するアンテナが、かなり敏感だと思います。

死ってなんぞやと思うのですが、
僕は『1』になることではないかと思うんです。
出たよ、THE抽象的。
と思いましたね?
そうなんです、僕は抽象的で構成されてるんです。
(ただ、おそらく抽象的を愛してやまないからここでこうしてこの文章を読んでくれてると思うので、このままいっちゃいます)

死が1なら、生は0になるでしょう。
このへんはなんとなく納得ですよね。


生→死


0→1


このベクトルですね。

それで『1』って、
『完全なる状態』だと思うんです。
(#ちょっと中二病)

死んじゃうと、あまり悪く言われなくなりますよね?
生前、めちゃくちゃな人でも「なんだかんだ言って、まぁ良いところもあったよなぁ」ってなる。
なんか全部チャラになるというか、『死』を迎えたことによって、その人からもらった何かが思い出に変わった瞬間に「ありがたいな」って思えるんですよね。
もちろん、生前から人格者であればなおさらです。
それこそ手を合わせて拝む、って行為に集約される気がします。
合掌、感謝の象徴ですもんね。

『死』を持って、『1』になる。
『1』が『完全なる状態』になる。

ってことなんじゃないかと思う訳です。

ところで僕らうつー人って、わりと生きている内に『完全』になりたいと思ってません?

誰に何を言われても受け止められて、どんな状況でも柳のようにしなやかに対応し、自分の感情の全てをコントロールして怒りを抑え、優しく振る舞える。
そんなパーフェクトヒューマンを目指していると思うんです。
僕は仙人になろうとしてました。

完全なる状態≒
パーフェクトヒューマン≒
仙人

このへんを目指して色々と試してきたんですが、ある時に、これは生きている内には辿り着けないなって思ったんです。
これらって、どうやら『1』なんですよね。

「そんなこと言ったら!努力してる甲斐が、
なくなるー♪ラララ~」

とミュージカル調に怒りを感じるかと思うのですが、大丈夫です。
生きている内は、死んでないんですよ。
禅問答みたいですけどね。

0の旅路の途中で1にはなれなくて、0の旅を終えた時に、その足跡の全てが1になるんじゃないかと思うんです。
0の途中で、僕らがしているのは1に近づいていくことで、それは0の後ろに『.』をつけて、数を重ねていくってことのような気がするんです。
人生って、めちゃくちゃうまくできていて、『1』で終わるようにできてるんじゃないかなって。

生まれた瞬間が0で、赤ちゃんがおぎゃーと産声を上げる。
肺呼吸に切り替わる瞬間です。
僕らにとって呼吸は無意識で行われるものですが、
赤ちゃんにとっては母親のお腹ワールドから、こっちのワールドで生きていくために身につけなければならないものですよね。
この一秒。
始まりの一秒。
【人生を『1』とする理論】をゴリ押しでザクッと計算しちゃいますけど

人生100年として、365日×100年= 36,500日。
一日24時間で、36500日×24時間= 876,000時間。
一時間60分で、876000時間×60分= 52,560,000分。
一分60秒で、52,560,000分×60秒= 3,153,600,000秒。

人生、31億5360万秒な訳です。

そうすると一秒ってのは人生の31億5360万分の1で、
人生における一秒の比率は

1÷31億5360万秒
=0.000000000317098

なんです。
(自分が確認するために一個一個計算してます。あってる?)

0.000000000317098で肺呼吸を始める。
数字としてはちっさいですけど、とんでもない一秒の瞬間ですよね。
この数字を重ねていって、『1』に向かってる気がするんです。

そこからミルクを飲んだり、泣いてみたり、笑って、
しゃべって、立って、歩いて、怒って、友達を作ったり、石を蹴りつないで学校から家まで帰ったり、勉強したり、仕事をしたり、開店前のTSUTAYAのポストにDVDを返したり、色々諸々etc…

これら全部が0の後ろに数字を重ねるってことで、
それが0の旅路、生きていくってことなんじゃないかなと思うんです。
0.の後ろに、9をいくつ重ねても『1』になることはありません。
『1』は『死』ですもんね。
生きている内は、死んでないんですよ。
それでも、0.999999…と9を無数に重ねていけるようにすることで、限りなく『1』には近づいていく。
それが、僕らうつー人が志したい生き方なのかなと思うんです。

たまにおじいちゃんとかおばあちゃんで、笑顔で
「ありがとう」と言われただけでグッと来て泣きそうになるような声をかけてくれる人とかいません?
そういう方は
0.999999999999999999999999999999999999999999………
の所におられるんだろうなぁと思います。
限りなく『1』に近いづいてる(敬意を込めてね)
旅路を歩んで来られてるから、「ありがとう」の一言にもその人生の光と影が垣間見えて心に響くのだと感じます。

0.999…を志していく中には、怒ってしまった後悔や、失敗してしまった恥ずかしさ、言い返すことができなかった悔しさとかも入ってます。
なにかがうまくいったり、自分をほめることができたり、誰かに優しくしてもらったりしたことも0.999…の中に入ってます。

1はいつか必ず迎えることになります。
今は0.999…を無数に重ねていってるってことで、万事OKでいいんじゃないかなと思うんです。
完全にはなれないですよね。
なぜなら、僕らは人間だから。
そのあきらめが、僕らにとって心地良い0の旅路を生むような気がします。
僕はカニを食べるのをあきらめました。
なにかを手放すと少し気が楽になるかもしれません。
今日も色んな0.000000000317098を重ねて、ぼちぼちと一緒にやっていきましょう。
めちゃくちゃ応援してます。


もっさん