#14うつになったら、ゴミ拾いをするしかない

僕は川沿いの道を散歩していた。
足を踏み出す度に、落ち葉や小枝がパキパキと音を立てた。
ふいに、所々で不自然なカラフルさが目立っていることに気づく。
ゴミだった。
食べ物のビニールやプラスチックの破片が落ちている。
缶やペットボトルも草の間に埋まっていた。
目につき始めると、そこら中にゴミが顔を出し始める。
なぜか急に思った。
こんなきれいな場所を、ゴミで溢れ返しちゃダメだ。
穏やかな気持ちにしてくれるこの道を、少しでもきれいにするのが僕のできる恩返しのようなものだ。
まだいつもの半分くらいの時間しか経ってなかったけど、僕は急いでアパートに戻った。
階段を駆け上がり、玄関のドアを開ける。

「ゆぅ、めぇ、じゃない~、ぅあれもこれも~ぅ♪」

メラン大佐がB’zの『ultra soul』を熱唱していた。
UFOにはスピーカーが取り付けられていて、爆音が鳴り響いている。
僕には全く気づいていない。
構わず台所からゴミ捨て用のポリ袋を取り出す。

「しゅぅ、くぅ、ふくがぁ、ほしいのなら~ぁん♪」

背中を向けたメラン大佐はクネクネと身体を揺らす。
前に突き伸ばした腕を、自分の方に招くように振り上げた。
明らかに見えない客をあおっている。
しかもかなり大きい会場を想定した動きだ。

「そしてぇ、かぁ、がやーっく、ウ・ル・ト・ラ、ソゥッ!!」

「おい!」

僕は『ultra soul』の醍醐味である合いの手の瞬間に声をかけた。
メラン大佐は驚きのあまり50センチほどジャンプし、そのまま足をつんのめらせてゴロゴロと転がった。

「ユ、ユ、ユ、ユッキー!!えらい早いじゃないですか!いつもなら最低20分は散歩しているというのに!!まだ10分も経ってませんよ!?」

「人のいない間に部屋でアリーナ級のライブしないで。しかも、ちょっとモノマネ入れないで」

メラン大佐は見られたことへの恥ずかしさと、僕が黙って見ていたことへの怒りが半分半分といった顔をしていた。

「人が悪いですよ。もう散歩は終わりですか?」

メラン大佐がスマホをいじると音楽が止まった。
爆音の余韻が部屋に広がる。



































『ゴミ拾いしてこようと思って』


































まただ。
最近、自分の声がダブって聞こえる瞬間がある。
急に静かになって、耳が追いついていないのだろうか。

「素晴らしい!うつー人にとって自分の心に向き合うことは何より大切ですが、それ以上に自然に目を向けることが大切なのです。なぜなら」

「もう生活の、身体の一部みたいなもんだからね、あの道は」

自分の思考じゃないような、澄んだ気持ちを呼び起こされていた。
メラン大佐がうなずく。

「私から言うことは無いようですね。本来、世界に生み出されている全ての物は人類の知恵の結晶であり、美しい物なのですがね。無造作に捨てられた瞬間、それはゴミと呼ばれる物に変わってしまうのでしょう」

確かに、汚れたお菓子のパッケージも、潰されたジュースの缶も、作った人達にしたら考え抜かれたデザインや洗練された技術の結晶だったはずだ。
僕は軍手を持って、スニーカーを履く。

「ユッキー、幸い今日は燃えるゴミの日です。家のゴミと一緒に出せるくらいの量を拾うだけでも十分ですからね」

「分かってる。気軽にサクッとやってくるよ。散歩のついでって感覚で」

閉まるドアの向こうに、手を上げたメラン大佐が消える。
なんだか変な感覚だった。
少し音量を絞った『ultra soul』が聞こえてくる。
僕は呆れつつ、アパートの階段を降りて川沿いに向かう。

ゴミは集め出すと、すぐにそれなりの量になった。
ポリ袋はいっぱいになってないけど重たい。
僕は、今日の分をここまでと決めた。
毎日散歩するのだから、少しずつ進めていけばいい。

「あの」

後ろから声をかけられ驚いた。
スタイリッシュなジャージを着た女性が立っている。
その顔を見て、僕はさらに驚いた。

「それ、ゴミを拾ってくださってるんですよね?」

反射的に持っていたポリ袋を持ち上げる。

「あぁ、はい」

「あたし、この道をたまに散歩しててゴミが落ちてるのは気づいてたんですよー。でも、特に何もしようとしてなくて。だから、今ゴミを拾ってるの見て、なんて言うか、すごい感動しちゃいました」

まっすぐに目を見られ、僕は視線を逸らしてしまう。

「いや、ありがとうございます。僕も今日、初めてやろうと思ったんですよ。この道、好きなんで」

「あたしもです!ホントに穏やかで、いい道ですよね、春は桜がきれいだし」

「ですね」

沈黙が訪れる。
穏やかな川のせせらぎと、静かに吹く風の音だけが空気を振動させる。

「もし良かったら、明日ご一緒してもいいですか?」

その声は、川と風と同じくらい柔らかな響きだった。
僕の鼓動が大きく跳ねる。
こんな風に人と距離が縮まることが、いつぶりか分からない。
嬉しさもあったが、大きいのは怖さだった。

「あ、もちろん大丈夫なんですけど、今日がゴミの日で、自分のと一緒に出せる日にしようと思ってて。だから明日はちょっと、次は、えっと」

しどろもどろになり、次のゴミの日も頭からすっ飛んでしまう。

「ウチは明日が燃えるゴミなので大丈夫ですよ!」

屈託のない言葉に、僕はやっと目を見ることができた。
輝くような笑顔だった。

「でしたら」

「決定ですね。だいたい同じ時間に散歩してます?」

「はい」

「じゃあ明日のこの時間に、ここで大丈夫ですか?」

「い、いいともー」

なんでテレホンショッキングなのか自分でも分からなかった。
まん丸な目で見られている。

「じゃ、お待ちしてまーす」

タモさん風にそう言われた。
イタズラっぽく笑って去って行く姿を呆然と眺め、立ち尽くした。
おそらく、と言うかもちろん、僕には気づいていない。
彼女は、レンタルショップで僕にあの邦画を勧めてくれた店員だったのだ。




          *




「ユッキー、それは千載一遇のチャンスです。これを逃したら来世までお預けですよ」

「もうちょっとご縁のバイオリズムって平等じゃないの?」

夜になって、僕はことのてんまつをメラン大佐に話した。

「それぐらいの勢いでいかないと陣内智則と藤原紀香、ダルビッシュ有と紗栄子、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーには続けないということです」

「みんな離婚してんだけど」

「ゴミ拾いなので格好にこだわる必要はありませんが、そのかすれた声はどうにかしたいですね」

僕はどきりとした。
休職して人と関わってない今は、しゃべるための筋肉が衰えてる感じだ。

「もっと、グッと低くしぼった、それでいて活力を感じさせる発声をしましょうラララ~♪」

いつの間にかUFOの側面が開き、ピアノが飛び出している。

「ボイトレ!?」

「そうです。さぁ朝のあいさつを練習しましょう。彼女がやって来ました!はい!」

「お、おはようございます」

ピアノから不協和音が鳴る。

「なんですかその老いたカピバラが温泉に入った時のようなアヘアヘした声は!」

「例えが分かりづらい」

「もっと声を飛ばすのです。はい!」

「おはようございます!」

「はい彼女来ました!」

「おはようございます!!」

「もっと太く、遠くに!」

「おはようございまっす!!」

「もっと福山雅治風に!」

「ぅおはようございまぁーす」

深夜に渡ってメラン大佐のレッスンは続いた。




          *




「すいません!あたしは断ったんですけど、この人、どうしてもついていくって聞かなくって」

「いやー、すいません。妻から話を聞いて、そんな熱い人がいるならオレこそ会いたいわ!ってなっちゃったんですよ」

そう言って笑った男性は色黒で背が高く、恐ろしいほどに爽やかで、白い歯が整然と口元で輝いていた。
彼女と揃いのジャージを着ている。
超絶にお似合いな一対の男女を、ってか夫婦を目の前に、僕の視線はおそらくチベットあたりに向けられていたと思う。

「本当に尊敬します。お若いのに頭が下がります」

おじぎをするご主人からは、紳士的で純粋な想いが伝わってくる。

そこから先のことはあまり覚えていない。
もうろうとしたままゴミを拾い、虚脱したまま会話を交わして、燃え尽きたまま手を振って夫婦と別れていた。
ご主人の白い歯は、100m先の角を曲がる間際も光っていた。

「なんたる爽やかさでしょうか。もはや戦慄するほどです。奥様へのあくなき敬意、一回りは年下であろうユッキーに対する謙虚な立ち振る舞い、二手に分かれて合流するまでの的確なスケジューリングと提案の仕方。明らかに仕事できる人ですよ。絶対レクサス乗ってますよ」

周りに人がいないのを確認して、透明になったメラン大佐が声をかけてくる。
僕は二人の曲がった角を見ていた。

「まぁユッキー、この世に絶対はありません。別れの可能性はどんな二人にも訪れます」

「あの夫婦」

自分でも不思議なくらい、本当にヘコんでいなかった。

「絶対に別れないよ。お似合いすぎる」

胸の奥から声が響いていた。
その音は、木の枝のすき間の空に消えていく。
僕は笑っていた。

「やっぱ、素敵な女性にはいい男がつくもんだな。かっこよすぎだろ、あの人。声も超バリトンだったし」

メラン大佐も笑った。

「やはり天然で低トーンの声の持ち主には敵いませんね。しかしユッキー」

空を見たメラン大佐の視線を追う。

「あの木々の間を通り抜けたユッキーの声は、柔らかな高さを持っていたからこそ空に向かっていったのです。それは、あの男性にも出せない軽やかな響きなのですよ」

小さな飛行機の影があった。
止まっているように見えて、それはゆっくりと、でも確実に空を進んでいた。
こうして僕の心は、散歩道と共に自然な景色を少し取り戻した。




















クラクションが爽やかに反響し、僕は視線を落とす。
向こうの道でピッカピカのレクサスのセダンが通り過ぎた。

「うわ、あのクラスになると年収2000万円レベルでしょうね」

僕は、やっぱり、ちょっとヘコんだかもしれない。




【うつになったら、ゴミ拾いをするしかない】









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