#07うつになったら、風呂に入るしかない

 疲れた。
 僕は床につっぷしていた。
 足はテーブルの下に入っている。
 今日も、何もしてないのに疲れた。
 なんでこんなに疲れるんだろう。
 夜になると決まって気力が尽きている。

 

 「ユッキー、眠いのですか?寝るならしっかりと準備をしないといけませんよ」

 視界にスリッパを履いた足が入ってくる。
 今日初めての会話だった。
 メラン大佐は朝からずっとUFOの中にいたようだ。
 僕は床に着けた顔を反対側に向ける。

 「あぁ」

 「あぁ、じゃありませんよ。ちゃんと起きなさいな。色々と一日を終わらせる準備があるでしょう」

 今度は返事をしないで、僕は目をつぶった。
 メラン大佐のため息が聞こえる。

 「まったく仕方ありませんね。ほら、つかまってください」

 まぶたごしに感じていた照明の明かりが弱まる。
 メラン大佐が影になっているようだ。
 僕は目を閉じたまま手を差し出し、つかんだ。

 「そんなにガッツリつかまれたらコリ・コリックゥゥゥ!!!!

 「最近なんで人につかませる流れになってんの!?」

 光が放たれる。





























 『ちょっとあんた、おとーさん帰ってくる前に、
ちゃっちゃとお風呂に入りなさい!』





























 光が消える。

 「今の夜9時頃のお母さんみたいな言い方はなんなんだ」

 「うつーは全てを包括している母性の象徴でもありますからね。地球でいうところの母なる大地、母なる海、ミルキーはママの味です。さぁ、ひとっ風呂お浴びなさいな」

 メラン大佐はユニットバスを指差した。

 「いいよ。今日も何もしてないし、汚れてないから。そもそもダルくて入る気にならない」

 「何もしてない訳ではないでしょう」

 メラン大佐は肩をすくめた。
 僕は思わず反論してしまう

 「何もしてないって。朝起きて、『タッチ』読み始めたら止まらなくなって気づいたら夕方だったから」

 「いいじゃないですか、本を読んで一日を過ごしても。私も今日は地球の書物を読み込んでいましたよ」

 「タッチは本じゃなくてマンガだから。自分で言いながら、めちゃくちゃ自己肯定感が下がってるし」

 「あきらめたら、そこで人生終了ですよ?」

 「望むところ。人間失格でけっこう」

 僕は寝転がりながらメラン大佐に背を向けた

 「この先どこかで、誰かとタッチの話題で盛り上がることがあれば、それだけで今日の一日が価値あるものに変わるじゃないですか」

 メラン大佐の言わんとすることは理解できたが、自堕落な時間をすごした罪悪感は消えない。

 「初めてならそーゆー解釈も取れるけど、もう何回も読んでんの。知ってる内容を再確認してるだけなの。かっちゃんが死ぬシーンなんて何回見たか分かんないわ。まぁ毎回グッとくるけど」

 「それですよ。感動できる、というのは心が動いている証拠です。涙を流すのは心身にとても良いんですよ」

  「別に泣いてはいないから。なんかフォローされてる感じが逆に辛いんだけど。今日は無駄にした。今日は終了。いいだろ別に、僕の一日なんだから」

 「まだですよ」

 「は?」

 「まだあわてるような時間じゃない」

 「なに言ってんの?」

 「しっかりとお風呂に入り、湯船につかりましょう。それから、今日がどんな一日だったかを判別しても遅くはないでしょう?と言う訳でイリエくん、ユッキーをお風呂に追い詰めなさい」

 メラン大佐がスマホを掲げている。
 少し遅れて、玄関から台所の端までを使っても収まりきらないほど巨大な黒い影が現れているのに気づいた。

 「馬鹿野郎!!淡水域最強の生物、イリエワニを具現化するなぁぁぁ!!!!」
 (※ #02の宇宙技術を参照)

 「さぁ早くお風呂に入りなさい。さもなければ腹に食らいつかれ必殺デスロールをお見舞いされてしまいますよ?」

 「すぐに入ります!」

 僕は服を脱ぎ捨ててユニットバスに飛び込んだ。




          *




 「ふぃー」

 「ほら言った通りでしょう。そんな気持ち良さそうにして」

 息が自然に漏れる。
 立ちこめた湯気が鼻から入り、身体を潤していくのが分かる。
 いつもシャワーばかりで、お湯を張るなんて半年以上はしていなかった。
 ただひとつだけ、リラックスしきれない要素が立ちはだかる。
 メラン大佐がお湯を張った洗面器に、競泳のスタートみたいな体勢で両手両足をつけている。
 腰をくの字に曲げて僕の方をガン見ていた。

 「その体勢で近くにいられると癒やされ感が大幅に削がれるんだけど」

 「我々は進化の過程で、この両手両足洗面器入浴を11回やることによって、通常の入浴10回分の効能を得られるようになったのです」

 「なんなんだよ、そのスーパー銭湯の回数券みたいな進化は」

 「先ほどの慌てようが噓のようですね。ユッキーは恐がりすぎです。ワニの噛む力は半端じゃありませんが、アゴを開く力は極端に弱いのですよ。ロープできつく縛るくらいで、もうアゴは無力化します」

 「ワニのしっぽを振る速度は音速を超えるとも言われてるんだぞ。『ワニだ気をつけろ!』って声が届く前には、もう喰らう計算だわ。ワニなめんなよ」

 僕はメラン大佐を視界に入れないように天井を見る。
 改めて、心地よいあたたかさと水圧が身体を包んでいるのを感じた。

 「まぁでも、気持ちいいわー」

 「そうでしょう?首も上を向き、身体はあたためられて血行も良くなり、いいことしかありませんよ」

 「ずっと忘れてた感覚だ。風呂って、やっぱいいなぁ」

 「入浴は、自分の身体をねぎらうご褒美なんですよ」

 「その発想はなかったな」

 首から下の感覚が切り離されたようだった。
 確かに、お湯の中でゆらめく身体が喜んでいるようにも見える。
 僕は手を泳がせ、湯船を揺らした。
 バチャバチャと、水の跳ねる音が反響する。

 「静かにしろい。この風呂が…」

 メラン大佐は芝居がかった口調で言った。

 「は?」

 「俺を甦らせる。何度でもよ」

 「さっきからなに言ってんの?」

 「さて、ほどよくあたたまった所で上がりましょう。長風呂は逆に身体が活動的になりすぎてしまい、リラックス効果がうすまります」

 メラン大佐は両手足を拭いて、さっさと出て行った。
 僕は両手ですくったお湯に顔を当てる。
 ホントに、気持ちが良かった。
 ユニットバスを出ると、冷蔵庫の前でメラン大佐が腰に手を当てて立っていた。
 

 「どうでした?あのまま床でダラダラするより、思い切ってお風呂に入ってしまった方がスッキリして一日を終えられそうではないですか?」

 「確かにそうなんだけど、なんで最後の一個のアイスを食べようとしてんの」

 メラン大佐は箱のパルムを持っていた。
 昨日、二人で食べた後、ラスイチになっていたのだ。

 「さぁ、ユッキー今こそ素直になって、こう言いなさい!
『メラン先生…!!お風呂に入りたいです……』と!!」

 

 「今日一日、UFOの中でスラムダンクを読みふけっていたことはよく分かった。それはどうでもいいからアイスを返せ」

 僕は素早く手を伸ばした。
 だが、メラン大佐の動きはそれ以上に早かった。

 「私は今日、地球の、日本の歴史の勉強をしていて、非常に脳を酷使したのです。今パルムが必要なのは間違いなく私の方です。そして、生まれ変わったら絶対バスケ部に入って全国制覇を目指します」

 「完全にスラムダンクに影響されてるじゃん!僕だって生まれ変わったら野球部に入って甲子園目指すわ!」

 パルムを奪おうとするが、うまくかわされる。

 「おやおや、そんな動きで甲子園を目指せるのですか?」

 メラン大佐はパルムを掲げた。

 「私の全国制覇の前途を祝して。いただきます」


 サクッ


 「うわぁぁぁ!!!!」

 「ユッキー、何をそんな大げさな。たかがアイスごときでそんなに叫ぶだなんて」

 「違う!違う!!」

 メラン大佐は背後の黒い影に気づいていない。
 いや、自分の身に起きた大変な事態に気づいていない。

 「なんです?」

 冷蔵庫の上に乗っているのは、体長50センチくらいのイリエワニだった。
 小さくなっているものの、そのアゴの力は顕在だ。
 まるでうまい棒を食べるかの如く、メラン大佐の触覚は小気味よくかじられた。

 「触角、食われた!!」

 「ほぎゃぁぁぁ!?!?あれぇぇぇ!?!?イリエくんを完全に元に戻せてませんでしたぁぁぁ!?!?!?」

 「戻せ!戻せ-!!ってか、それまずいでしょ!?病院!?救急車!?」

 「どっちもダメー!人類に解剖されちゃうぅぅぅ!!!!」

 こうして、僕は入浴で心地よく一日の汚れを洗い落とせたものの、メラン大佐の触角は消えてしまった。(イリエくんの胃の中に)
 一体、どうなる!?









 【うつになったら、風呂に入るしかない】









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