#15うつになったら、アウトプットをするしかない

 「すごい風ですね」

 カタカタと窓が揺れ、外では電線が風にあおられている音がしていた。

 「史上最強だってさ」

 テレビが超大型の台風の上陸を繰り返し伝えている。

 「うぅむ、こんな某格闘マンガのような表現をするとは相当な規模なのでしょうね。しかしユッキー、これが夕食とは正気の沙汰ですか?」

 メラン大佐は不満そうに魚肉ソーセージを手先で軽く振り回した。

 「どんな被害になるか分からないから、余裕がある今はこれでやりすごそう。スーパーもコンビニも手軽に食べれる食材はすっからかんだったし。完全に出遅れた」

 少し大げさとも取れる呼びかけで、みんな慌てて食材を買いあさっていたのだ。

 「今の文明なら必要最低限の備えを全員が手に入れる状況も作れるのですが」

「ホントにそうだよね」

 「日本の格言である『奪い合えば足らなくなり、分け合えば余る』は、居酒屋のトイレにまで掲げられているのに不思議です」

 「いつ居酒屋行ったの」

 「合コンの時です」

 「僕よりはるかに地球を謳歌してる」

 「あ、その時のゆりちゃんからメッセージが入りました」

 「どうせまたイーロンで行ったんだろ。インチキだ」

 「言っておきますが既婚者はモテるのです。イーロンは私の内面の魅力の投影にすぎません」

 メラン大佐はいそいそとスマホをいじる。

 「よし、おや?メッセージが送れませんね」

 僕が見ていたスマホの画面も止まってしまった。
 どうやら通信障害が起きたらしい。

 「あ」

 突然、部屋が真っ暗になった。

 「停電だ」

 僕はスマホのライトを点ける。
 まるい明かりが浮かび上がった。

 「これはとてもいい機会ですね」

 メラン大佐が言った。

 「どこが?」

 「現在の人類は、情報の波に溺れています。このように強制的に情報が遮断されることは、普段は目を向けられないところに意識を向けるチャンスですよ」

 暗闇も手伝ってか、意識や思考が自分の頭の中に存在していることを感じ始める。

 「せっかくの状況ですから話をしましょう。ユッキーの想うことを話してください」

 「いや急に話せって言われても」

 意識と思考がしぼんでいく。

 「なんでもいいんですよ。うつー人の意識と思考はすごい情報量を抱え込んでいます。その中には自身も他人も救うであろう、素晴らしい想いも眠っているのですよ」

 「そんな高尚な想いなんてないよ。自分のことばっか考えてる」

 僕はスマホを置いた。
 床に向けられたライトが、光で長方形の枠を描いている。

 「自分のことばかりでも、それを外に吐き出すことが大切です。実際に口に出してみると、驚くような形になるものですから」

 口を開いて、閉じる。

 「いや、むずかしい。別に無いような気もするし」

 「ユッキー、全ては循環しているのです」

 強い声が暗闇に響く。

 「食べて、排泄する。空気を吸って、吐く。生まれて、死ぬ。人間だけでも無数の例がありますが、自然はすべてその原理に従っています。さぁ、ユッキーの思考や意識に情報が入り、インプットされました。どうなるのが自然ですか?」

その問いに、わざわざひねくれる理由も見つからない。



































『アウトプットすることになる』


































 僕とメラン大佐の声が重なった。

 「物理的にも、精神的にも、その原理は当てはまります。その循環を滞らせずにいられれば、意識と思考は穏やかな川のような流れを見せるでしょう。以前のユッキーの思考はちょうど、この台風と一緒だったのです。流れ込んでくるものが過多な状況だったのです」

 その言葉に頭を叩かれたような衝撃が走る。
 色々な要素が急激につながった。
 僕は常に新しい思考を取り入れようとしていた。
 弱い部分を隠そうと、取って付けたような行動を続けていた。
 指摘されたことを相手の顔色をうかがって飲み込むふりをしていた。
 また頭を叩かれたような衝撃が走る。
 本当は自分の思考を捨てる気なんてなかったんだ。
 心の器みたいなものが溢れかえっていたんだ。
 頭を叩かれたような衝撃が走る。
 頭を叩かれたような衝撃がまた、走る。
 頭を叩かれていた。
 振り返ってライトをあてると、メラン大佐がこん棒を振りかざしていた。

 「痛っ!ちょっとユッキー!痛っ!そのこん棒は私の息子が宇宙修学旅行のおみやげに買ってきてくれた痛っ!思い入れのある痛っ!もの痛っ!なのですよ痛たたたたたっ!!!!」

 僕はメラン大佐から取り上げたこん棒を、暗闇の中で力一杯ぶん回した。

 「まぁ、その思考をせき止めている場所を開放するきっかけは必要ですね。前からユッキーに聞きたかったのですが、壁にかけられている青いターバンを巻いた少女の絵。なぜあれをかざっているのですか?」

 僕はスマホのライトを壁にあてた。
 闇に浮かび上がるその絵は、改めて見ても神秘的だった。

 「まぁ単純にフェルメールが好きだよ。この『真珠の耳飾りの少女』は一番有名でしょ。こんなに光というものを絵画で表現できるって尋常じゃない」

 「なるほど。しかし数多の画家が、卓越した技巧で様々な表現に挑戦していますが、何故に光の表現に惹かれるのですか?」

 そう聞かれ、頭の中にいくつかの理由が並ぶ。

 「まぁ、いっぱいあるけど、高校で美術部に入った時に知ったんだ。17世紀のオランダ絵画の黄金期を代表する画家、ヨハネス・フェルメール。『光の魔術師』って言われてて、そもそも絵はさ、発光する訳じゃないだろ?」

 自分の記憶に書かれたことを読んでいるような気分になる。


 「それなのに眩しさを感じさせる。実際に目が光の刺激を受けてるような、いや、ひょっとすると現実以上に眩しいって感じてるように思える」

 今度は頭の中から言葉が消えていた。

 「絵の中で言う光、眩しさってなんだろうって考えると、僕は『白』なんだと思うんだよね」

 ずっとあたためていた概念だった。

 「絵の具の白でも、地としての画材用紙とかキャンバスの白でもいいんだけどさ。明度、色の明るさの度合いのマックスは『白』って色で、絵の中の光は、この白を越えることはできない。なぜなら、絵は発光する訳じゃないから」

 僕は腕をまくった。
 少し暑くなってきていた。

 「この『白』って『光』を絵の中で輝かせるためには何が必要かって言うと、今度は『影』だよね。でもそれは単純に『黒』じゃない。明度の下限マックスは黒だけど、白と黒を並べても、光と影にはならない」

 闇の中で光と影の話をしていることが、僕を高揚させていた。

 「その白と黒の間にグラデーションがないと、絵の中の光は輝かない。緻密な、微細な、気の遠くなるようなたくさんの色味を重ねて『影』を表現することで、ようやく白は『光』になる」

 僕は真珠の耳飾りの少女を照らす。

 「んで、フェルメールね。光と影を神々しくというか、ドラマチックに表現する画家はたくさんいるけど、フェルメールは静かで穏やかな印象の光が多くて、僕は好きなんだ。さっきと逆のことを言うけど、眩しい!って感じじゃないのに、すごく光を感じさせる。『静謐と光の画家』って、こないだ買った本に書いてあったけど、なるほどなって思うよ」

 しゃべりながら新しい思考が生まれてきていた。

 「僕自身がスポットライトを浴びるタイプじゃないし、浴びたいとも思わないところがあるから、そーゆー慎ましい明るさというか、穏やかな淡い陽があたるような要素に惹かれるのかもね」

 自分で納得がいく。

 「うん。そうだな。職場でもリーダーたる者、みたいな教育を受けてたけど本来の自分の気質じゃなかったんだよ。無理して身につけようとしてたけど、いくらかは昔よりたくましくもなってたかもしれないけど、自然じゃないから無理が出てきてたんだ」

 話の着地点が思いがけない場所になった。
 僕は明らかにすっきりしていた。
 何かを伝えたり、話したい気持ちがどんどん強くなっているのを感じる。
 腹の、胸の、のどの中でせき止められていたものが、きれいさっぱり無くなったようだった。
 僕は感謝の念すら抱いて、メラン大佐にライトを向ける。
 大きな黒い目が白目で完全に染まっていた。
 しっかりと、いびきもかいている。

「気絶レベルで寝てるよ。もうやだこの人」

 「ほげっ?むにゃむにゃ、聞いてましたよ!あれです、ユッキーが武術部に入って、元PRIDEヘビー級王者でロシアの格闘家のエメリヤーエンコ・ヒョードルが『氷の皇帝』と言われてて、なんでしたっけ?」

 「しかもすっごい序盤で離脱してる」

 「おや」

 部屋が照らし出された。
 テレビのスイッチも入り、音が戻る。
 停電が復活したようだった。

 「ユッキー!電波も戻ってますよ」

 スマホを見ると、ニュースサイトも更新されていた。

 「ゆりちゃん停電はダイジョブでしたカ?イーロン、とても心配したヨ」

 「文字を打ちながら声に出さないで気持ち悪いから」

 メラン大佐は必死になってスマホを打ち込む。
 ふいに、美術部の友達の顔が僕の脳裏によぎった。
 よく絵や色の表現、マンガや映画の話をしていたことを思い出す。
 数年前に会った時はデザイン系の仕事をしていると言っていた。
 絵とは関係ない仕事をしている僕は、話が合わなくなってると感じ疎遠になっていた。
 どうしてるだろう。
 メール画面を開く。
 話したいことが溢れるように思い浮かんでいた。
 少し考えて僕が打った文字は、あきれるほどシンプルなものだった。

 〈元気?〉

 それだけだったけど、実際に声を出してるような気持ちを込めてメールを送ることができた。
 こうして、僕は自分の想いを吐露すると湧き出てくる感情があるのだと強く実感した。



















「…ユッキー」

 蚊の鳴くような声がした。
 顔面蒼白のメラン大佐が見せてきたスマホはバイブしていて、奥さんからの着信が表示されている。

 「出ないの?」

 「さっきのメッセージ、間違えて妻に送信してしまいました」

 僕はとっさに言葉を飲み込む。
 顔がにやけるのを全力で押さえた。

 「そっか。それは大変だ。どんなアウトプットで切り抜けるか、お手並み拝見といこう」

 「そんないじわるを言わないで助けてくださいぃぃぃ!!!!」









【うつになったら、アウトプットをするしかない】









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