#10うつになったら、    するしかない 前編

「まぁ思ったよりひどくなさそうで、安心したぜ」

 僕の前に座る係長はおどけた口調で言った。
 格闘家のような大きくぶ厚い体格と、鋭い眼光は相変わらず威圧感がある。
 僕は軽口で乗りたい所だったが、当たり障りのない言葉しか出てこない。

 

 「おかげさまです。ありがとうございます。ご迷惑をおかけして申し訳ないです」

 

 「何回も言わなくていーよ」

 係長は時計を見て、手帳を閉じた。

 僕の会社では、休職をしている社員は定期的な現況報告が義務づけられているとのことだった。
 僕の場合は面談の形式が取られ、病院での治療状況や自覚症状の把握をして職後の参考にするという主旨らしい。

 正直言って、今日までの数日間はそうとうに辛かった。

 みんなが働いてる中で、休み続けている自分が面談のためだけにのうのうと出向くことも、その面談での受け答えをすることも、とにかく自分がどう見られるかが気になって仕方がなかった。
 それを考えるだけで内臓が浮き上がるような感覚だった。
 できれば来たくはなかったけど、一番お世話になっていて、そして一番プレッシャーを感じている存在である係長の招集を断ることもできなかった。
 ただ、実際に来てみて、話をしている内に幾分かは気持ちが軽くなったのも事実だった。
 僕が限界を迎えて休職するまで、係長は鬼のような仕事人の顔で立ち振る舞っていたが、それをまるでどこかにやってしまったかのように穏やかだった。
 案外、自分が勝手に周りを怖がりすぎていただけなのかもしれない。

 「んじゃ、行くか」

 係長が立ち上がり、僕も続いた。
 社員通用口に続く扉の前に立つ。
 僕を見る係長の眼光は、やっぱり鋭い。
 肩に手を置かれる。
 歯が見えた。
 笑っている。
 係長の目は鋭い形をしているだけで、きっと悪気がある訳ではない。

 「まぁ長い休みを楽しめよ。もう少しゆっくりすれば体調も戻るし、負担も減るよな?」

 鼓動が跳ね上がった。
 肩を二、三度叩かれる。
 激励だとは分かったけど、どうしようもないプレッシャーがのし掛かる。
 係長と別れ、更衣室に入った。
 動悸がしている。
 僕は深く呼吸を取って、なんとか自分を落ち着かせようとした。

 考えすぎるな。

 ペットボトルのお茶を口に含んだ。
 薄暗い天井を見上げる。
 細長い窓から光が差していた。
 少し、意識が自分の思考から離れる。
 息を吐いて、吸い、また吐く。
 動悸が納まってくる。

 「ふぅ」

 声に出していた。
 カバンを持つ手に汗がにじむ。
 更衣室の扉を開ける。
 下駄箱で靴を履いて、外に出た。
 日差しが強い。
 門までを早足で歩く。
 すぐに汗ばんできた。
 もう喉が渇いている。
 お茶を飲もうと思ったら、ペットボトルが見当たらない。
 ロッカーの上に置いてきていたのを思い出した。
 踵を返す。
 チャイムが鳴った。
 会社の、昼休みの合図だ。
 僕は急ぐ。
 更衣室に社員が集まってきてしまう。
 通用口から飛び込むように中に入った。
 更衣室の扉に近づくと、磨りガラスの向こうに人影が見える。
 もう人が来てしまっていた。
 話し声が聞こえてくる。

 「ってか係長、ちらっと見えたんすけど、山田さん、元気そうじゃなかったっすか?」

 「あ、やっぱそう思った?顔色とか悪くねーんだよな」

 「オレだって同じ状況でやってんのになー。そっか、オレがめちゃくちゃ優秀ってことっすね!」

 「バカ、それが普通なんだよ。あいつは真面目さだけはあるけど根本的なタフさがないからな。なんつーの、女性的ってヤツか?男の背中を見て育ってねー感じだ。父親との関係が希薄だね、あーゆータイプは」

 「なんかオレが男だらけの世界で無神経に育ったみたいな言い方じゃないすっか」

 「いや、そーゆー方が強いぞ。そのままでいけよ。いちいち細かいこと気にしてたらビジネスの世界では生き抜いていけねーからな。まぁ、ビョーキの人のことはよく分からんわ」

 笑い声が遠のいていく。



















 「おやユッキー、おかえりなさい。面談はどうでした?」

 メラン大佐を無視して、僕は布団に寝転んだ。
 カバンをほうり投げる。
 日差しがまぶしく、腕を目元に当てる。

 「おや、そのままで寝転んだらスーツが痛んでしまいますよ」

 窮屈な感触に気づく。
 詰まった首元から吐き気が込み上げた。
 乱暴にネクタイをゆるめる。
 ブチッ、と音がした。
 シャツのボタンが千切れたのが分かる

 「ほら見たことですか。スーツにとらわれる必要はありませんが、身だしなみは男のたしなみですよ。TPOを見極めてきちんとした格好をすることも、うつー人にとって大切なことの一つです。とくにスーツは男性性の象徴のような衣服ですし、着こなし一つで男の格が上がること間違いな」

 「うるさいんだよ!‼」

 僕は声を張り上げていた。

 

 「どいつもこいつも男がなんだとか男らしさがなんだとか!!そんなに重要なことかよ!?」

 自分の怒鳴り声が、自分の頭の中で反響して頭痛に変わる。

 「なんなんだよ!だいたい人それぞれ持ってるものなんて違って当たり前だろ!?育ってる環境も違うんだし!」

 係長の言葉がよみがえる。
 父親との関係。
 僕は、父さんと会話を交わした記憶が極端に少ない。

 「もちろんです。幼少時の環境、家庭環境は様々です。少なからず成長の過程に影響をおよぼすことは間違いありません」

 「そうだろ!?ウチはさ、父親との関係が希薄だったんだよ!」

 係長の言い方をマネしていることに、僕は気づかなかった。


 

 「男同士の会話なんかもしてこなかったし、背中を見せられた記憶だってない!他の人はそーゆーことがあったのかもしれないけど、ウチは違うんだよ!もっとさ、僕だって父さんが色んなことを教えてくれてたら男としてのたしなみだか男らしさだか知らないけど、そーゆーの身についてたから!」

 「ユッキー、落ち着きましょう」

 「落ち着いてるし!」

 興奮しているのは自分でよく分かっていたが、それでも止められなかった。
 

 「話をまとめると、今のユッキーが言っている『男らしさ』の欠如というものが、ユッキーのお父様の責任、だということでしょうか?」

 責任、という言葉にドキッとしたが、僕は退けなくなっていた。

 「そうだよ!男の親なら息子が人生で困らないような術を教えるべきだろ!だいたいさ、父さんは仕事だけしてればいいと思ってて、家族となんか全く向き合って来てないんだ!情とか、そーゆーのがそれこそ欠如してるんだよ!」

 いつも帰りが遅く、休日はずっと寝転がっている父さんの記憶が浮かぶ。

 「なるほど。分かりました。コリ・コリックしましょう」

 「しねーよ!ふざけんな!」

 「ふざけてなどいません」

 メラン大佐は静かに触覚を握る。

 「やめろ!」

 「コリ・コリック

 光が放たれた。
 まぶしさの中で、いつもの白さが広がる。





























 『           』





























 違和感を覚える。
 あの文字のような声のような意識のようなものが浮かび上がってこない。
 

 光が消える。
 メラン大佐が見ている。
 言葉が出てこない。
 少しの期待をしていた自分に嫌気が差した。

 「何も無かった、のですね?」

 僕は、たぶん驚いていた。

 「ユッキー、答えてください。うつーから、何も伝わって来なかったのですね?」

 「分からない」

 それしか言えなかった。
 ざわつきが全身に広がる。
 身体が緊張していた。
 鼓動が早くなっていく。
 頭痛が止まらない。
 耳鳴りが近づいてきた。
 景色がねじれて見えてくる。

 「大丈夫です、ユッキー。不安になる必要はありません。処置をしましょう」

 僕はふらつく足でなんとか立っていた。
 UFOの前に立ったメラン大佐がアンテナをつかんで勢いよく手前にスライドさせると、屋根が正面に降りてきた。
 メラン大佐がスマホをいじると、アンテナが二つに割れた。
 二本のアンテナの先には矢印がついていて、まるで時計のようだった。

 「タイム・コリック

 メラン大佐の声と共に、アンテナが左回りに高速で回転し始めた。
 青い光がバチバチと火花を立てている。
 アンテナの回転はどんどん早くなり、それと共に火花が強くなっていく。
 いつも以上の光が螺旋状に放出される。
 部屋を青く照らし出した。
 メラン大佐の影が伸び縮みしている。
 僕の手の輪郭も、大きく歪んでいる。

 なんだこれ!?

 光の渦僕らを飲み込む。

 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」

 僕は叫んだ。
 自分の喉の奥に飛び込んでいるようだった。
 意識が遠のいていく。


































 *


































 「ユッキー、目を開けてください」

 メラン大佐の声がした。
 僕は寝転がっていた。
 草が茂る場所にいる。
 起き上がった。
 身体の草を払おうとしたが、不思議と何もくっついていなかった。
 辺りを見回す。
 その場所がどこなのか、すぐに分かった。
 右にも、左にも、五階建ての団地が建っている。
 棟と棟の間にある原っぱに僕らはいた。
 青いトタンの駐輪場、住人が勝手に始めた家庭菜園。
 目に入る全ての景色に見覚えがある。
 そこは、僕の育った団地で、実家のある場所だった。
 ただ、明らかに違うことがあった。

 「ここ、どこだよ!?」

 僕の質問に、メラン大佐は微笑む。

 「何をそんなに驚いているのです?ユッキーのよく知ってる場所でしょうに」

 「知ってるよ!ウチの団地だよ!でもあれ見ろ!あの広場は僕が小学校の頃に整地されて、でかい、きれいな公園になったんだ!」

 「よく覚えているようですね」

 「いやそんなことどーでもいい!なんで、今ここに僕らがいるのに、なんで、あの広場は荒れ地のままなんだよ!」

 メラン大佐の言うとおり、僕はその光景をよく覚えていた。
 今、僕の目の前に広がっているのは、間違いなく20年前の実家の姿だったのだ。













 

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