#10うつになったら、    するしかない 中編

 今、僕の目の前に広がっているのは、間違いなく20年前の実家の姿だったのだ。

 「どーなってんだよ!?なにをした!?」

 「ほぉ、そこまでパニックにはなってないようですね」

 「なってるよ!」

 「いえいえ、状況を理解するのに多少は時間が必要かと思いましたが、やはりユッキーはうつー人としての素質が高いです」

 「だから理解してないって!なんなんだよ、ここは!?」

 「あれを見れば、分かるかもしれません」

 メラン大佐は団地の真ん中を通る、中央歩道の方を見た。
 子供を抱えた女性が歩いてくる。
 僕は黙っていた。
 遠目でも、なんとなく察する所があったのかもしれない。
 その親子の顔がはっきり分かる距離になった時、僕は心臓が飛び出したかと思った。
 女性は、僕の母親だった。
 そして、抱えられている子供は僕だったのだ。
 記憶の彼方にあった母さんの若い時の姿と、アルバムで見たことのある二歳ぐらいの僕の姿が、今、目の前にあった。

 

 「なんだこれ!?」

 僕は大声を上げた。
  若い母さんと子供の僕は、ニコニコしながらどんどん近づいてくる。 母さんが今の僕と同じくらいの年齢であることに驚く。
 どうしようもない切なさ、後悔に似た感情がわき上がっていた。
 二人が目の前まで来る。

 「あの」

 僕は手を伸ばす。
 若い母さんと子供の僕は、僕をすり抜けた。
 かわしたのではない。
 二人は、僕の身体をすり抜けたのだ。
 慌てて振り返った。
 母さんの後ろ姿はそこにあった。
 その背中に、子供の僕の手足がしっかり抱きついているのが見える。

 「驚きましたか?」

 メラン大佐が横に立っていた。
 僕は、家に入っていく二人の姿を呆然と眺めていた。

 「お察しの通りで、今のは幼い頃のユッキーと、若かりし頃のお母様です。何が起きてるか、分かりますか?」

 僕は混乱していたが、思考を整理しようと努力した。

 「タイムスリップ?」

 「いい線ですね。しかし、タイムスリップではありません。これは記憶の再生です」

 「記憶の再生?」

 「えぇ」

 「誰の?僕の記憶?」

 「違います。宇宙の記憶です」

 メラン大佐はスマホを見せてくる。
 日付が表示されていた。
 それは僕が二歳の頃の西暦だった。

 「宇宙には、全ての記憶があります。これは、その記憶をスマホを介して再現した立体映像です。以前に見せた、森や銀河の映像を覚えていますか?」

 直近の話をされて、少し冷静になる。

 「あぁ」

 「あの時は風景を映しただけでしたが、これは、過去の状況を完璧に再現しています。ただ、映像情報でしかないので、直接触れたり、再生された人間と会話を交わしたりすることはできません」

 原っぱに寝転んでいたのに草がついていなかった理由が腑に落ちる。

 「なんなんだよ、これ。デタラメだよ」

 「デタラメではありません。これを見るのは今のユッキーにとって非常に重要なことです。少し進めましょう」

 メラン大佐がスマホの画面をクルクルと円を描いて指でなぞる。
 突然、日の光が淡くなった。
 みるみる内に空が茜色に変わっていき、紫色に染まり、夜になった。
 あり得ない早さで月が昇る。
 メラン大佐は、スマホをなぞるスピードを上げていく。
 月が降りて、太陽が昇り、空の色が変わる、という流れを数回くり返した。

 「この日です」

 メラン大佐はスマホを操作する。
 景色が目の前をスクロールしている。
 団地の一番端の二階に僕の家はあった。
 階段を降りると、すぐに広場に行ける。
 ただ、広場には車の走る道路を渡らないといけないので、子供だけで遊ぶには危ない通りだった。
 ちょうど、子供の僕と、その僕より少し年上の子供が階段から降りてきた。
 手をつないだ二人が、メラン大佐をすり抜ける。

 「お友達ですね」

 「うん。引っ越しちゃったけど、よく遊んでくれ下の階のそうちゃんだ」

 二人は道路沿いを走って行く。
 僕は、そうちゃんの手を引っ張るように走っている。
 

 「ゆっくん!あぶないよ!」

 そうちゃんは僕の手を引き、横断歩道の前で止まった。
 僕は楽しくて仕方ないようで、高い声を上げている。
 そうちゃんにかばわれるように立ち、しっかりと手を握った。
 そこで、思い出した。
 メラン大佐を見ると、ゆっくりとうなずいた。
 鼓動が早くなる。
 そうちゃんは、右から車が近づいてくるのを確認した。
 手をさらに強く握ってくれている。
 僕は何回もそうちゃんと道路を渡ったことがあった。
 いつもそうちゃんが手を上げて歩き出すまで、ちゃんと待つことができていたらしい。
 向かいの歩道に人が現れる。
 犬を連れていた。
 その飼い主と犬も近所の人で、見覚えがあった。
 車が走って来る。
 僕は、その犬が大好きだった。
 そうちゃんの手を、僕はかなりの勢いで振りほどいたのだろう。
 犬に触りたい一心だったのだと思う。
 甲高い音が鳴り響く。
 直後に、少し鈍い音がした。

 僕は、二歳の頃に交通事故にあった。

 運転手は、子供二人が完全に止まっていることを確認してから交差点に入ったとのことだった。
 速度はゆるやかで、僕が車の側面に当たりにいく形になっていたらしい。
 それでも気を失うほどの衝撃ではあり、今こうして目の当たりにするのはそれなりにショッキングなことではあった。

 「大丈夫ですか?」

 メラン大佐に声をかけられて、少し安心する。

 「大丈夫。ってか、むしろ運転手がかわいそうだ。僕、これじゃ当たり屋だよ」

 そう言って笑えるくらいの余裕があった。

 

 「ゆきお!!!!」

 引き裂くような大声で名前を呼ばれて、驚く。
 声の方向を見ると、母さんが走ってきていた。
 僕の名前を連呼している。
 倒れた僕に駆け寄り、抱きかかえようとした。

 「動かすな!!」

 犬の飼い主が言った。
 母さんは身体をビクつかせる。
 靴も履かず、裸足で飛び出してきていた。

 

 「呼吸もしてるし心臓も動いてる!すぐに救急車を呼ぶから、頭を動かさないように端に寄せて!」

 母さんは僕の身体をゆっくり移動させながら、何度も名前を呼んでいる。
 僕は、助かった現実のある僕は、なんだかむずがゆく照れ臭くなった。

 「ってか、母さん裸足だし」

 「少し、時間を戻しましょう」

 メラン大佐がスマホを操作する。
 周りが高速で逆回しに動き始め、あっという間に僕とそうちゃんが階段にいる状況に戻った。

 「お母様の様子を見ましょうか」

 団地がスクロールしてくる。
 階段も壁もすり抜けて、僕の実家が目の前に現れる。
 僕の見たことがない部屋のレイアウトだった。
 カーテンも、家具も、デザインは古くさいけど、新しい物で飾られている。
 母さんが洗濯を終えてベランダから戻ってくる。
 そのまま台所に向かい、いそいそと食材を切っていく。
 真顔で、慌ただしく動いていた。
 僕の記憶にある、調子はずれの鼻歌を歌いながら適当に家事をこなす母さんではなかった。
 甲高い音が鳴り響く。
 車のブレーキ音だ。
 僕はその音にもそれなりに驚いたが、それ以上に驚いたのは、母さんがすごい勢いで家を飛び出していったことだった。
 ドアは開けっ放しだった。
 玄関の靴がバラバラになっている。
 そこで、ふと疑問が沸いた。
 

 「なんで車のブレーキ音だけで、母さんはすっ飛んでいったんだろ?」

 「母親の直感でしょうね」

 メラン大佐に即答される。

 「お母様はユッキーの危機を、本能的に感じ取ったのですよ」

 胸が締めつけられる。

 

 「さて、場所を変えましょう」

 また景色が高速でスクロール、拡大、縮小、上下をくり返す。

 

 「ここです」

 メラン大佐がスクロールを止めた場所は、工場の中だった。
 大きな機械や、様々な金属部品、大勢の人が動き回っている。
 記憶にはない場所だったが、なんとなくそこがどこかは想像できた。

 「ここって」

 数人の作業員が歩いてくる。
 その内の一人のことを、見間違えようがなかった。

 「そうです。ここは若かりし頃のお父様の職場です」









次話はこちら≫≫≫