夢幻鉄道(二次創作) 【光のメロディー】


斎藤さんが入院した。
朝礼が終わってすぐに、課長に話を聞きに行った。
「見舞いは遠慮してくれ」
病院の場所は教えてもらえなかった。
事情があるのだと思い、僕は大人しくしたがった。


会社の中で斎藤さんと一番仲が良いのは、僕だと思っている。
たまにだけど飲みにも行くし、斎藤さんが結婚する前は一緒にフェスへ行ったりもした。
一回り歳が離れているけど、僕らは音楽の趣味がよく合ったのだ。
斎藤さんは、音楽活動をしていることを僕に教えてくれていた。


「プロになりたいんだ」
酔っぱらうと、斎藤さんはいつも照れながらそう言った。
ついこの間も大会みたいなライブに出ていた。
その時に歌った、娘さんのために作った曲は最高だった。
斎藤さんも「あれは生涯最高傑作だ」と言ってた。
僕はそんな斎藤さんを単純にすごいと思った。


三ヶ月ほどが経った日のことだ。
部品の搬入をしていると、総務の人間が立ち話をしていた。
斎藤さんの入院した病院の名前を口にしている。
場所を調べると、会社からそこまでは遠くなかった。
僕は見舞いを強行することにした。


病院は思ったよりも、かなり、大きかった。
受付で斎藤さんの名前を告げる。
モニターを見る看護師が、ひと呼吸おいた。
「ご家族以外の方の面会は、ご遠慮ください」
僕は納得がいかず、しばらく食い下がった。
斎藤さんに会いたい気持ちが強くなっていた。


「あの」
看護師と問答していると、声をかけられた。
そこにいたのは斎藤さんの奥さんと娘さんだった。
以前、一度だけ家にお邪魔したことがあった。
「あ、僕、斎藤さんの会社の後輩の、杉山です」
奥さんは力なく、ほほえむ。
精魂つき果てた顔をしていた。
「お久しぶりです。ももちゃん、ごあいさつは?」
ももちゃんは誰もいない中庭をじっと見つめていた。


ガラス越しに、斎藤さんがベッドに寝ているのが見える。
機械から伸びたチューブにつながれていた。
ももちゃんが僕を見上げる。
「ぱぱねー、おくすりたくさんのんじゃってねんねしてるのー」
「もも!」
心臓が大きく鳴った。
奥さんの反応で、それが普通に飲む薬の量じゃないことが分かってしまった。
言葉が出ない。
「眠っているようにしか見えないんですよ」
ももちゃんの頭をなでながら、奥さんは言った。
自発の呼吸はできないらしい。
斎藤さんは昏睡状態だった。


「でも、体は大丈夫なんですよね?」
奥さんはうなずいた。
「それなら、いつ目を覚ましてもおかしくないんですよね?」
奥さんはまたうなずいた。
そして、泣いた。
「昏睡してから90日をすぎると、可能性はほぼ無くなるんです」
斎藤さんの入院を知った日のことを思い出す。
「明日が、90日目なんです」


窓にしずくの当たる音がした。
雨が降ってきていた。
「いや、あの、何年もしてから目覚めるって話もよくあるじゃないですか」
テレビや映画で見たことのある記憶を、都合よく引っぱり出した。
奥さんは涙をぬぐう。
「あの人が昔、延命措置を望まないカードを書いていて」
斎藤さんは几帳面すぎるくらいの性格だった。
そして、困っている人を放っておけない性格でもあった。

10
夜の病院は思ってる以上に静かだった。
僕は無理を言って、泊まらせてもらえることになった。
廊下のソファに寝転がる。
部屋から、奥さんとももちゃんの声はしなくなった。
雨音が強くなってきていた。

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扉が開いた。
小さな影が現れる。
ももちゃんだった。
僕を見て人差し指を立てた。
「しずかにー!」
その声が廊下に響く。
ももちゃんにそでを引っぱられ、僕はソファから立ち上がった。

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テケテケと歩くももちゃんを、後ろから追う。
受付のロビーが見えて来た。
妙に明るい。
ももちゃんが足を止めた。
じっと中庭を見ている。
その視線の先には、電車が停まっていた。

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さっきは電車どころか、もちろん線路だってなかった。
そもそも、ここは病院の中庭だ。
一体、どうなってるんだ?
とまどう僕をよそに、ももちゃんは迷うことなく電車に乗っていった。
「あ、ちょっと!」
ももちゃんはすでにシートに座っている。
車掌らしき男がこっちを見た。
発車のベルが鳴る。
ももちゃんを一人にするわけにはいかず、僕は電車に飛び乗った。

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電車が走り出す。
ももちゃんは外を眺めながら、鼻歌を歌っている。
雨で曇った窓からは何も見えない。
乗客は皆、背筋を伸ばして座っていた。
しんとした車内が異常さを際立たせて、怖くなった。
「この電車、どこに向かってるんですか?」
僕の質問に、車掌は答えない。

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「ゆめが丘、ゆめが丘」
電車が停まり、ももちゃんが歩き出した。
外には太陽が昇っていて、晴れ渡っている。
駅前には大勢の人が歩いていて、すごい熱気だった。
巨大なロータリーが見える。
見覚えがあった。
そこは、斎藤さんと行ったフェスの会場の、大きな海浜公園の入り口だった。

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明らかにおかしい。
あそこは茨城だったはずだ。
電車にはそこまで長い時間は乗っていない。
「あー!」
ももちゃんが声を上げ、走り出した。
遠くから音楽が聞こえてきた。

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雑踏を抜けていくと、空を一望できる大きな広場に出た。
バンドの演奏が響き渡っている。
ステージでライブが行われていた。
ももちゃんが指をさす。
「これねー、ぱぱのねー、ゆめなんだよー」
オーロラビジョンに、熱唱する斎藤さんの姿が映し出されていた。
ウソみたいだけど、デタラメな時間の流れと地理にも説明がついてしまう。
ここは斎藤さんが見ている夢の中なんだ。

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斎藤さんは高らかに歌う。
客は熱狂していた。
どの曲が始まっても、爆発したかのような歓声が上がった。
動きも、仕草も、表情も、いつもの斎藤さんとはまるで別人だ。
この世界で、客にとって斎藤さんは完全にロックスターだった。
ももちゃんは、しかめっ面をしている。
僕は一曲一曲を聞きながら、斎藤さんの夢に想いを馳せた。

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「今すげー新曲を作ってるから、おまえら楽しみにしてろよ!また会おうなー!!」
斎藤さんが叫び、大歓声の中でライブが終わった。
ももちゃんが走り出す。
そのままステージの裏側に回った。
そこには、見渡す限りの田園が広がっていた。
斎藤さんが一人でパイプ椅子に座っている。
大きなステージは、煙のように消えていた。

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「もも!」
斎藤さんが両腕を広げる。
ももちゃんは、斎藤さんの顔をじっと見ている。
「杉山くんも!」
ステージ後の興奮からか、斎藤さんの目は血走っていた。
「ライブ、見てくれたんだ?よかったろ?」
少し圧力のある言い方だった。
「最高だったろ?もも、どうだった?パパ、カッコよかったか?」
僕の返事を待たず、斎藤さんはももちゃんの頭をなでた。
「かっこ、よくない」
ももちゃんは眉間にしわを寄せている。
斎藤さんは豪快に笑った。

21
「斎藤さん」
声がかすれる。
「どうした?サインならいくらでも書くよ」
肩をすくめる姿は、本当にロックスターのようだった。
時間がない。
勇気を振りしぼった。
「これ、夢です。斎藤さんは眠ってるんです」
斎藤さんの表情が固まった。

22
「斎藤さん、目を覚ましてください。奥さんとももちゃんが待ってるんです。すぐに帰りましょう」
足が震えていた。
斎藤さんはため息をついた。
「知ってるよ」
その返答に驚く。
「これが夢だってことくらい、自分が誰より分かってるよ」

23
「じゃぁなんで」
「ここではオレはスターなんだ!」
声がこだまする。
「溢れるようにメロディーが浮かぶんだ。作る曲の全てが称賛されるんだ。たとえ夢だろうと、自分の才能が発揮できて、それが受け入れられる世界なら、オレにとってそれこそが現実なんだよ。オレは、ずっと、プロになりたかった。叶ったんだ。もっとたくさんの曲を作って届けたい」
斎藤さんの過ごしてきた日々を垣間見た気がした。

24
ももちゃんが僕の手をにぎった。
自分が何のためにここにいるのか、分かってきた。
なんとしてでも斎藤さんの目を覚まさせなくちゃいけない。
「さっきライブでやってた曲」
僕は斎藤さんの作る曲が好きだ。
だから嘘はつけなかった。
「全部、カバーなんですよ」
鈍い音がした。
斎藤さんの胸に、10センチほどの穴が空いていた。

25
「溢れるように作れると感じるのは、たぶん斎藤さんの記憶の中にあるプロの曲を『思い出してる』からです。現実には、もう他の誰かが作った曲として存在してるんですよ」
胸の穴がさらに大きくなり、向こう側が見えた。
「ここじゃなくても曲は作れるじゃないですか。早く、帰りましょうよ」
斎藤さんは頭を抱えて、うずくまった。
「でも、でも、今、すごい曲ができそうなんだ…。この世界でしかできないんだよ…あれを作らないと…どうにかして作らないと…」

26
空が、絵の具で塗ったような黒で染められていた。
「ご乗車ください」
いつの間にか、車掌が横に立っていた。
振り返ると電車も停まっている。
「ちょっと待ってよ。まだ」
「世界が剥がれたり溶けたりしていくのは『目覚め』の前兆です。しかし、あの黒色は違います。あれは」
斎藤さんの胸の穴から真っ黒な液体が溢れ出てきた。
「純粋な『終焉』です」

27
車掌は懐中時計を見た。
「あれに飲まれたら、いくら夢を引き伸ばしても意味はありません。二度と帰ることができなくなります」
黒い液体が斎藤さんの全身を包んでいく。
ももちゃんは、両手を広げていた。
「ぱぱー。ももちゃんね、ぱぱのね」
斎藤さんの影がうごめく。
「…そうだ、もも…おまえもパパと一緒にこの世界で暮らそう…ここならパパはロックスターなんだ…嬉しいだろう?…ももぉ!!」
黒い液体が高く噴き上がる。
雷のような不協和音が鳴り響いた。

28
「出発します」
車掌が電車に向かう。
「ぱぁぱー!」
ももちゃんは両手を合わせて立ちすくんでいる。
理解不能な状況だった。
ただ、あの黒色に飲まれたらまずいことになるのは僕にも分かった。
斎藤さんの奥さんの顔が浮かぶ。
「ぱぁーぱー!!」
ここで、ももちゃんまで失わせるわけにはいかない。
嫌がるももちゃんを抱きかかえ、僕は走った。

29
電車に乗り込む。
車掌は慌てる様子もなくドアを閉めた。
黒い液体が迫ってきているのが見える。
すぐに電車が動き出した。
斎藤さんの夢の世界が黒く塗りつぶされていく。
不協和音はどんどん大きくなり、やがて振動に変わっていった。
車体を激しく揺らしている。
立っていられず、僕はももちゃんをかばいながら床に転がった。

30
斎藤さんの夢。
プロのミュージシャンになる夢。
それが叶った世界。
否定できなくなる。
現実に戻ることが幸せなのか?
斎藤さんは生き生きしていた。
死んでしまうかもしれないのに。
斎藤さんが夢の世界でしたいこと。
曲を作る。
斎藤さんの、生涯最高傑作。

31
何かが聞こえた。
目の前に意識が戻る。
ももちゃんが両手を叩いてリズムを取っていた。
メロディーを口ずさんでいる。
「それは」

32
「これねー、ももちゃんのうた」

33
光が差した。
不協和音が止んだ。
静寂の中で、ももちゃんの歌声だけが響き渡る。
黒い液体が無数のしずくに変わった。
うずを巻いて光に吸い込まれていく。
その行先は斎藤さんの胸の穴だった。
光が、景色を包み込んでいく。
黒色の一部が切り絵のような五線譜に変わった。
螺旋状になって電車を取り囲む。
トンネルみたいだった。

34
ももちゃんの歌に合わせて、音符が輝いていく。
もう電車は揺れていなかった。
五線譜のトンネルを、ゆっくりと進んでいる。
立ち上がって、窓を開けた。
斎藤さんの姿が遠くなっていく。
五線譜は斎藤さんの胸の穴から生まれてきていた。

35
僕は力いっぱい叫んだ。
「斎藤さん!このメロディーですよ!斎藤さんが求めてるメロディーがあるのはこの世界じゃない!現実にもう存在してるんです!」
光がさらにまぶしくなり、車内を強く照らした。

36
電車は進んでいく。
斎藤さんは、どうなるんだろう。
「夢が、秩序を取り戻しました」
車掌の視線は僕を越えて後方に向けられている。
「昏睡状態の人間に刺激を与え続けることで、状態が変化してくる可能性があります。その中で最も早く回復する生態機能が」
車掌は帽子のつばをつまんだ。
「聴覚だと言われています」

37
窓から電車の軌跡を見る。
五線譜のトンネルが、古いペンキが剥がれるようにバラバラと崩れ落ちて光に溶けていく。
「どうやら、声は届いたようです」
ももちゃんは外を眺めながら、ずっと、ずっと、歌っていた。

38
少し足を引きずりながら、ギターを抱えた斎藤さんがステージに立つ。
会場は斎藤さんの家だ。
客は、僕と、斎藤さんの奥さんと、ももちゃんの三人。
ライブが始まった。
斎藤さんは高らかに歌う。
生涯最高傑作。
ももちゃんの曲だ。
奥さんに抱っこされたももちゃんが、満面の笑みで叫ぶ。

「ぱぱ!かっこ、ぅいーねー!」

その瞬間、斎藤さんは間違いなく世界一のロックスターだった。




【おしまい】