夕飯の支度を進める。
最近は自炊する気力が沸いていて、親子丼を作っていた。
と言うか、昨日も親子丼だった。
実はおとといも、その前も親子丼だった。
高校時代の調理実習で作ってから、親子丼は僕の得意料理だった。
そして唯一、手早く作れる料理でもある。
毎晩アップグレードする親子丼を楽しむ状況が続いていた。
「今夜も自炊とは感心ですね」
メラン大佐が覗いてくる。
「また親子丼だけど」
「あくなき探究心ですね!素晴らしい!」
僕は同じメニューが続いていて少しきまりが悪かったけど、メラン大佐の反応を見てそこまで気にすることもないのだと思えた。
「もうかれこれ一週間は究極の親子丼作りに励んでますね!さてはユッキー、親子丼屋を始める気ですね?そうじゃなければこの連日連夜の親子丼調理記録はギネスに認定されても何の不思議もありません!卵と鶏肉の過剰摂取で血中コレステロール値の上昇をもいとわない不屈の親子丼精神!鶏肉を一心不乱に調理し続けるユッキーを、私は敬意を込めてこう呼ばせていただきます!この『チキン野郎』と!!」
「本当は不満なのが十分に伝わった」
僕は丼にご飯を盛り、おたまで卵とタレの絡んだ鶏肉を乗せる。
「イヤなら食わなくていいけど」
丼をテーブルに置く。
メラン大佐は箸を持った両手を合わせると、勢いよく親子丼をかっこんだ。
「もちろん、こっ。美味しくごちそうに、こっ。なりますよ、こあっ」
「明らかに白米が鼻の奥の変なところに行っちゃてる」
「失礼。なんやかんやで私は親子丼が、鶏肉が大好物です。ところでユッキー!今この動画チャンネルを見てたのですが」
メラン大佐がスマホを見せてくる。
「これ、世界一ハトを愛するマジシャンの動画なんですけど」
「よくそーゆーの見といて鶏肉バクバク食えるよね」
それは少し古いマジックの動画で、どれだけ多くのハトを出せるかを検証していた。
「すごくないですか!?」
メラン大佐は興奮している。
僕は冷静だった。
「そんなに驚くほどでもないだろ」
「なにを言ってるんですか!このマジシャン、ハトを15羽も出したんですよ!?ハンパじゃありませんよ!」
「まぁすごいけど、このマジシャンは恰幅もいいしタキシードも膨らんでるし、ハトが隠れてる要素としては満載でしょ」
「そーゆーことではないんですよ、ユッキー。普通は6羽が限界なのです。そこを15羽なんて、凄まじい記録更新じゃないですか」
メラン大佐は動画を再生させる。
「あーもうこのハトマジック、ホントにすごいです。ハトを、鳥をこんなに出せるなんて。鳥の、トリックが、鳥トリックが凄まじくて、トリ・トリックゥゥゥ!!!!」
「もはや『コリ』じゃなくてもいいのね」
光が放たれる。
『食事内容を見直しなさい』
光が消える。
「自炊の精神は素晴らしい。間違いなくうつーエネルギーが高まっています。なので、もう一歩踏み込んだゾーンに突入しましょう」
僕は親子丼をほおばる。
この一週間でさらに腕は上がっていて、我ながら美味しくできてはいた。
「まぁ、そうだね。このまま延々と親子丼だけを食べ続ける訳にはいかないよな。色々作れるようになった方がいいよね」
「まずはそんなに難しいことをやる必要はありませんよ。使っている食材を見直すといった、改善改良をするところから始めるのが有効でしょう」
「どーゆーこと?」
「例えば、使っている白米を玄米に変える、とかですね」
昔、玄米を食べた記憶がよみがえる。
あまり美味しいものではなかった。
「玄米って好きじゃないんだよね。しかもちょっと高くない?」
「好みはありますし、確かに我々がパサパサ感に目をつぶりながら食べているこの超爆安の無洗米に比べたら、少し値は張るでしょう」
「はいまた不満がにじみ出たー」
「しかし、食べ物で身体はつくられているのです。今食べている鶏肉も、ユッキーのなで肩を構成する要素になっているという訳です」
「なで肩のことは言わなくてもいいよね」
「口にする物を慎重に選ぶようにすれば、自ずと意識も変わってきます。今まで考えていなかったのなら、なおさらです」
ふいに、自分の食べてきたものの遍歴が浮かぶ。
「食べるものってクセになるのかな。なんでか、無性に食べたくなって菓子パンをやたらと食べちゃう時期もあったんだよね」
「食事は間違いなく習慣になります。糖質は特に注意が必要です。夜の糖質の過剰摂取は不眠を引き起こしますから、うつー人にとっては押さえておきたいポイントですね。白砂糖をてんさい糖に変えるだけでも、血糖値の急激な上昇を抑える効果がありますよ。次に買い物をする際には注目するといいでしょう」
いつものドラッグストアで見かける食材を思い返す。
「納豆とか豆腐とか、そのへんも安く売ってた気がする」
「そういうことです!いきなり健康万歳といった思考を根付けようとする必要もありません。少しずつ、ゆっくりと、今ある生活に新しいものを浸透させていく意識を持っていけば良いのです」
僕は何かを変えようとする時、極端に傾倒するクセがある。
結果、息切れして元の流れに逆戻りすることばかりだった。
「意識を高く持つことは大切です。だからこそ、今できる小さなことから始めるのです。『夜は甘い物を食べない』とか、そういった所からですね」
今できる小さなこと。
僕の中で、その言葉が響く。
「なるほど。少しずつ変えていこう。やってみるよ」
「さすがユッキーです。その素直さは本当に強みになりますよ。もはやすでに、意識が変わってきているのを感じませんか?」
「そうだね。なんだか変わってきてる気がしてきた」
「素晴らしい。というわけで」
メラン大佐はおもむろに冷蔵庫を開けた。
「このプリンを私が食べているのをユッキーは眺めているだけ、という状況に耐えることも容易ですね?」
メラン大佐が持っているのは、僕が有名パティシエの店で行列に並んでまで買った『ぷぷぷぷりん』だった。
「ちょっと待って」
「待ちません。このプリンは今のユッキーが身近に始められる意識の改革の象徴になり得るものです」
メラン大佐はぷぷぷりんのフタを開封した。
ビニールのはがれる小気味よい音が鳴る。
「ユッキー、安心してください。このプリンは、評判ほどでもないはず…」
そう言ってメラン大佐はスプーンに乗ったプリンを口にすべり込ませた。
ゆっくりとプリンを口の中で転がし、目を閉じて天井を仰いでいる。
のどの動きでプリンが食道をすべり落ちていく様が手に取るように分かった。
開いた大きな黒い目は少し潤んでいる。
息を漏らすように、メラン大佐は口を開く。
「やっぱりこのプリン、美味ょーです。ちがう、ビミョーです」
「おいしさを隠せてない!」
見る見るうちに、メラン大佐はぷぷぷりんをたいらげた。
僕は悔しくて、今すぐ食べたくて仕方なかった。
一分前に誓った『夜は甘い物を食べない条約』を破棄したくてどうしようもなかった。
ただ、それも今夜ガマンすればいいだけだと自分に言い聞かせる。
僕は、僕を越える。
明日の朝、起き抜けにぷぷぷぷりんをかっ込んでやろう。
「さて」
メラン大佐が冷蔵庫に向かう。
不穏な動きだった。
「止まれ」
僕は刺すように言った。
メラン大佐は止まる。
しかし、振り向いたその顔には邪悪な笑みが浮かんでいた。
僕の言葉には構わず、そのまま足を踏み出す。
冷蔵庫を開けた。
中から取りだしたのは、『ぷぷぷぷりん』だった。
「なんでそれを持ってるんだ?」
僕は飛びかかりたい衝動を押さえ、平静をよそおって質問した。
「何故って、食べるからですよ」
「おかしーい!この人の言ってること、明らかにおかしーい!」
メラン大佐は僕をにらみ付けるようにして言った。
「お菓子くなどありません!」
「スウィーツに対する欲求がにじみ出てる!」
「断っておきます。私は甘い物を食べたい訳ではないのです。私にあるのは、ユッキーの意志を強固にしたい一心のみです」
「ふざけんな!二個買ってきたんだから、一個ずつ!常識だろ!?」
「近づかないでください!」
詰め寄る僕を、メラン大佐が手で制する。
もう片方の手には、ぷぷぷぷりんが握られている。
「止まってください。いいのですか?このプリンを食べることによってユッキー、あなたの睡眠が妨げられるのかもしれないのですよ?」
「いや睡眠を気にしてこの時間に食べることは避けるとしても、僕の分は明日の朝にでも僕が食べればいいだけの話だからね」
「もう一度言います。私はユッキーの意志を強固にしたいだけです。ここで私に二個のプリンを食べられることをユッキーが受け入れられれば、その意志は別次元の領域に達します。これ以降、あらゆる執着を手放すことができるようになるでしょう。プリンはまた買いに行けばいいじゃないですか。しかし、意志を貫くことは今この瞬間にしかできません」
「ぐぬぬぬぬぬ」
僕は歯を食いしばる。
明らかにふざけたことを言われているのに、理にかなっているようにも聞こえてしまう。
「そのままです。そのままでいなさい。足をそろえて。そう。両手は太ももにそえなさい。いいですよ。動かないでください。それでは」
メラン大佐は二個目のぷぷぷぷりんを開け、口に運んでいく。
「…あ、やっばい、これ、もはやプリンていうか、黄身そのものですわ。やわらかさとか、なめらかさとか、卵黄そのまんまです」
「食レポが秀逸ぅぅぅぅぅ!!!!!!!!」
こうして、僕は『クセになっていた食べ方』に対する大幅な見直しを余儀なくされた。

【うつになったら、食事内容を見直すしかない】