「ユッキー、おはようございます。よく眠れましたか?」
ユニットバスの鏡越しにメラン大佐が声をかけてきた。
触角を、地球ではおよそ見たことのない専用と思われるクシでとかしている。
「おかげさまで」
寝起きの感覚的としては悪くなかったけど、鏡に写る顔の目の下のクマは深い。
「お腹が空きましたね」
メラン大佐は、手のひらサイズの小さな箱を持ってUFOから出てきた。
「それ、カロリーメイト?」
箱のデザインはほとんど一緒だった。
「この時代ではそう呼ばれているものですね」
銀色の包みが破られ、中身が取り出される。
「見た目も、完全にカロリーメイトだ」
「まぁほとんど一緒です。これを食べると、ほら」
「うわ!」
メラン大佐の頭から毛が爆発するように生え、アフロヘアになった。
どこからともなく、R&Bシンガーの歌が流れてくる。
「これを食べるとソウルフルになる、『ソウルメイト』です」
「言葉の意味が変わっちゃってる」
「他にも、これとかオススメですよ」
また別の箱のカロリーメイトをかじると、メラン大佐の下半身がみるみる内にデニム地で包まれた。
「これは『ジーンズメイト』です」
「思いつく限りやるつもりだろ」
「おっと、ユッキーが大好きな米国プレイボーイ誌のモデルである『プレイメイト』はありませんよ。そんな無駄な科学技術は存在しませんからね、くれぐれも」
「なんも言ってないから」
「おひとついかがですか?ブギナイッ」
「ブギナイッ(Boogie Nights)じゃないわ!腹立つなぁ。いらない」
メラン大佐の足元を見ると、デニムの裾が大きく広がっていた。
「もちろん、アフロに合わせてベルボトムになってます」
「そーゆー細かいのいいから」
「ソウルメイトをもう一口かじると、ほら!チリッチリの胸毛が生えます」
「こだわるなー」
メラン大佐はいつの間にか白いシャツも着ていて、第三ボタンまで開けた襟元からは胸毛と金のネックレスが覗く。
そして腰を落とすとステップを踏み始めた。
「コリッ、コリッ、コォーリック♪コッコッコッコッ、コォーリック♪」
「うわ、なんか変なの始まった」
「コッコッコォー、コーッコ、コッコ♪
コッコッコォー、コーッコ、コッコ♪
ココッ、ココッ、ココッ、ココッ、コッコ、
コリック・ベイベー♪」
「あのさ『DA PUMPのU.S.A.イントロ風』とか、文章だと分かりづらいんだけど」
「U・T・U!」
「黙れ!」
「ファンクなリズムでコリ・コリックゥゥゥ!!!!」
「あーくそっ阻止できなかった!!」
光が放たれる。
何か、いつもと違う。
原色を多用した光が入り乱れている。
まぶしさに耐えてうす目を開けると、メラン大佐の顔が万華鏡のように何個も重なりクルクルと回っていた。
Queenのボヘミアンラプソディと、アース・ウィンド&ファイアーのSeptemberのPVを意識した映像になっている。
僕を、地球を完全にナメているに違いない。
『しっかりと食べなさい』
いつものが浮かび、光と質の悪いパロディ映像が消える。
「食事は大切ですよ。食べ物を身体に入れると、このように活動的になれますよ?」
メラン大佐はまだ踊っている。
「あんたは楽しそうでいいな」
「ちなみにこの踊りは『コリックダンス』です」
「コサックダンスみたいに言うな」
「なにもガッツリ食べる必要はありませんが、朝食は特にエネルギーになる物を食べないといけません」
「今はあんま食べたくない。基本、朝に食べると、むしろ胃がムカムカして調子悪いんだよ」
この半月の間も朝はとくに食欲がなく、気が向いた時にパック型のゼリーを少し飲むくらいだった。
体重が落ちてるのは、自分で身体を見てるだけでも明らかだったが、食に対する欲求がないのだから仕方ない。
「メランおじちゃん!ほらこれ!」
突然の声に驚く。
黒人の少年がメラン大佐に歩み寄っていた。
「なんだそいつ?どっから来た!?」
「ネイサン、どうしたのですか?」
メラン大佐が少年の肩に手を置く。
ネイサン?そいつの名前?
「オレ、メランおじちゃんの代わりに収穫しといたよ!」
「ネイサン、あなたがバナナを収穫して、出荷を依頼してくれたのですか?」
「そうだよ!オレだって、やる時はやるんだぜ!」
「あなたは偉いですね。しかし、急にどうして?」
「ホントに急な展開だわ」
僕がそう言うと、メラン大佐とネイサンはとても冷たい目でこっちを見た。ぐぅ。
「メランおじちゃん、オレ、弟と妹を、学校に通わせてやりたいんだ。だから、バナナの収穫の仕事をがんばって、日本って国に出荷して、そしたら日本人はバナナを食べて健康で幸せに、弟と妹は学校に行けて幸せに、オレはそんなみんなを見てるのが幸せに、みんながみんな幸せになるだろ?それって、最高だろ?」
「ネイサン!あなたはなんて素晴らしい子なんでしょう!ネイサン!あなたは姉はいますか?ネイサンの姉は『ネイサンの姉さん』と呼ばれるのでしょうか?」
「最後いらないの入った!」
メラン大佐とネイサンが歯を剥き出すようにこっちに向けた。
なんなの、こいつら。
「ネイサン!そんな志でバナナを出荷しているのですね!あなたは本当に素晴らしい!」
「メランおじちゃん!オレ、バナナの良さを世界に再認識させるよ!」
メランと大差とネイサンが抱き合う。
二人はゆっくりと僕を見た。
「朝食、食べないんですか?」
「分ーかったよ。ネイサン、歯を『イッ!』ってするのやめて。威嚇しないで。バナナ食うから」
「よしよし、ネイサンお疲れ様でした」
メラン大佐がスマホをかざすと、ネイサンはみるみる内に冷蔵庫の中の忘れられていたインスタントみそ汁に変わった。
「出た、宇宙技術。ってかバナナないよ」
「ユッキーがその気になっていることに関してサポートするのが私の役目です。任せてください」
差し出されたスマホの画面にはバナナが映っている。
「あ、これコンビニで売ってる一本売りのだ。これがどうしたってうぉぉぉ!?!?」
僕は思わず声を上げてしまった。
画面からバナナの頭が飛び出てきたのだ。
ゆっくりと押し出されるように、バナナが姿を現してくる。
まるでスマホから生えてきているようだった。
「なんだこれ!?」
「はっはっは、古い技術ですがそこまで驚いてくれると使い甲斐がありますね。ちゃんとしたバナナですよ。はいどうぞ」
恐る恐る、バナナを受け取る。
完全にバナナだった。
パッケージも中身も本物だった。
「もちろん食べられます。安心しておあがりなさい」
皮をむく。
バナナの香りが広がる。
僕は興味深さも手伝って、抵抗なくバナナをかじった。
あまり口に物を入れていなかったから舌の感覚がリセットされていたのか、甘みが強烈に感じられた。
「うん。バナナだ」
「どうです?おいしいでしょう?」
「まぁ。うまいね」
「食事をする、というのは立派なうつー人的活動です。エネルギーを摂取している訳ですから。その時点で、食物からユッキーへとエネルギーは移動したんですよ。ユッキー、エネルギー、エネルギュッキーです」
「三段活用みたいな言い方すんな」
メラン大佐もバナナをかじっている。
「久しぶりに自然の物を食べた」
「気持ちが食べることを拒否してしまうこともあります。なので、自ら進んで物を食べる流れを作ることも大切ですね」
僕はバナナを一本たいらげていた。
「しかし何も無いところからも物を生み出せるって、そのスマホすごすぎるな」
「いえ、無から有を生み出すことは、このスマホではできません。さっきのは転送です」
「転送?」
「はい。他の場所にある物質の原子構造を読み取って、スマホを介して手元に移動させてるだけです」
「他の場所って?」
「いつものコンビニの、あの下にあるところですね。あそこの食品コーナーから、ここに転送させました」
「それただのハイテク万引き!!」
「今ごろバナナが無くなったと騒いでいるかもしれません。もしくは、締めのレジ金が合わないかもしれません。どうしましょう?ユッキー、私なんだか不安になってきました」
「どうしましょうじゃないわ!今すぐ払いに行かないと!」
「お、いいですね!朝食を摂り、コンビニに行くことで散歩にもなり、おまけに外に出るので日光も浴びれます!なかなかうつー人らしい生活になってきてますよ!テンション上がりますね!」
「うるさい!ってかどう説明すんの!?完全に万引きしたあとに後悔して代金払いに来たヤツにしか見えないでしょ!?」
「あそこのコンビニ、午前中のバイトが怖いんですよねぇ。武闘派のバンドマンですよ、あの人。制服の下からタトゥー入ってるの見えましたからね」
「どーすんだよ!?」
「あたいに任せな!!」
振り返ると、いつの間にかドレッドヘアの黒人女性が立っていた。
「あなたは」
「まさか」
僕とメラン大佐は声を合わせていた。
「ネイサンの姉さん!!」
「ついてきな」
「はい!!」
こうしてバナナを食べた僕は、ネイサンの姉さんと共に活動的にならざるを得ない状況におちいった。

【うつになったら、食べるしかない】