#01うつになったら、上を見るしかない

身体が動かない。
頭は割れそうに痛い。
呼吸は1ミリの隙間でしてるように苦しい。
心臓は爆発しそうな勢いで鳴っている。
間違いなく異常が起きていた。
冗談抜きで、死んでしまうかもしれない。
今死んだら、どうなるんだろう。
みんな悲しむかな。
葬式で泣いてくれるかな。
色んなことが走馬燈のように浮かぶ。

あぁ。

人は何故、牛乳パックの口を反対側から開けてしまうのだろう。
あんなに矢印を確かめたはずなのに。
僕は本当にダメな人間だ。
そりゃ仕事もできない訳だ。
でも、もう全部どうでもいいや…。

身体の感覚がいよいよおかしくなってくる。
床が揺れているように感じる。
鼓動が凄まじい大きさで一つ鳴った。
まるで物理的な衝撃があったかのようだ。
寝ている身体が軽く跳ね、布団に叩き付けられる。
まぶたをうすく開けた。
棚や壁が崩れていた。
つまり、本当に物理的な衝撃が起きていた。
何かが天井を突き破り、部屋に突っ込んできている。
その何かは、どう見ても、UFOだった。
煙の中から人影が現れる。

「むぅぅ、やっぱり地球の重力はクセがあって難しいですね」

声の主は金魚鉢のようなヘルメットをかぶり、バックパックのような機械がつながった銀色のぶ厚い素材の服を着ていた。
ゆっくりと、ヘルメットが取られる。
顔の半分はある真っ黒な目に、上向いた鼻。
口とあごは小さく、頭は大きい。
肌は灰色がかった白一色。
見覚えがあった。
間違いない。

「宇宙人?」

僕は寝転がったまま言った。
背丈も顔も、マンガとか映画でさんざん描かれていたグレイと呼ばれている形そのものだった。
少し違うのは頭に一本の触覚が生えていることくらいだ。
宇宙人が現れたことに驚くべきなのは明らかだったが、今の僕にはその気力すらなかった。

「理解が早いようでなによりです。ただ、そのイントネーションは少しなまっていますね。我々は」

宇宙人が一歩詰め寄ってくる。

「うつー人です」

「そっちの方がなまってるけど」

「うつー人だべさ」

「完全になまらせちゃったよ」

「ワレワレハ、ウツージンデアル」

「それっぽく言いなおさなくていいから」

「私の名はメラン。銀河連邦星雲局のメラン・コリック大佐です。うつーからやって来ました」

メラン大佐と名乗った宇宙人がスマホのようなものを見せてきた。
画面には身分証のような表示がされている。
改めて顔を見ると、あちこちから青い血が流れていた。ケガをしているようだ。

<もしもし?パパ?>

<あなた、すごい音がしたけどなんなの?>

スマホから音声が聞こえてくる。メラン大佐は身体をビクつかせた。
画面の上部に緑色の受話器マークが表示されている。

<地球への着陸なんて、パパなら目をつぶっても楽勝だったよね?>

<ねぇ、自動操縦を切って本当に平気だったの?前もそれで着陸失敗して謹慎を受けっ>

ブツリと音を立てて音声が途切れる。メラン大佐が慌ててスマホをタップしていた。明らかに電話しながら運転していたようだった。

「もしかして」

「いいえ違いますよ。自動操縦なら安全かつ秘密裏に着陸できるものを、妻と息子に良いところを見せたいがゆえに手動運転に切り替えて大気圏に入り、テレビ電話に気を取られてる内に地球の重力にコントロールを奪われた挙げ句、このアパートの屋根を突き破って部屋を半壊させる形での完全な着陸失敗に終わったなんてことでは、断じてありません」

「全部自分で言っちゃったよ」

メラン大佐はスマホを僕に向けてきた。

「ふむ、本人に間違いないようですね」

赤い点滅線に囲われた僕の顔がスマホの画面に映っていた。
ぶち破られた天井と壁の細かい破片で、髪が真っ白になっている。
スマホを下ろしたメラン大佐が手を差し出した。
四本の指は、明らかに人間のそれではない。 

「山田幸夫氏。あなたを救いに来ました」

僕は寝転んだままで、黙っていた。
たぶん、いぶかしげな顔をしていたと思う。

「安心してください。私は味方です、このトンチキ野郎」

「なんで急にののしるの」

「失礼。まだ地球の、日本の言語に適応し切れてないのです。おかしな表現があるかもしれませんがご勘弁をよろしくオーライ・ウォンチュッ☆」

「わざとおかしくさせたよね」

メラン大佐はスマホを口元に寄せた。

「管制塔、管制塔。目的座標へ無事、着陸成功」

「うわ、普通にウソついてる」

「問題はありません。UFOも無傷です」

UFOの下側は着陸の衝撃で思いっきりヘコんでいた。
メラン大佐は痛そうな表情で、ひん曲がった部分をなでている。

「はい。本人適合も確認しました。ただ、症状が思ったより進んでいるのか、白髪になっています」

「破壊された部屋の名残なんだけど」

「了解。任務に入ります」

メラン大佐がスマホを腕にくっつけると、吸い込まれるように服と一体化した。

「さて、自覚もあると思いますが、あなたはもう昨日までのあなたではありません。身体が言うことを聞かないでしょう?」

僕は答えなかったが、メラン大佐の言う通りだった。

「思考は?高速で動いてるような、スローモーションのような、矛盾した感覚がしていませんか?」

僕に構わず続けられる質問は、的を射ていた。

「起きれますか?座るだけで構いません」

一応考えるふりをしたが、答えは出ていた。

「ダメだ。起き上がりたくない」

「座るのも?」

「寝ていたい」

「寝てる方が楽ですか?」

「楽じゃないけど、まだマシ。できるなら意識を失いたい」

メラン大佐の大きな黒い目が、わずかに細くなる。

「もったいぶっても仕方ないので、単刀直入に言います。山田幸夫氏。あなたは『うつー人』になったのです」

メラン大佐は続けた。

「正確に言うと、これから『うつー人』になるためのプロセスを踏むことになります」

理解不能な展開だった。
だけどそれを、僕は心底どうでもいいと思った。
生きていても死んでいても、こんなに辛い意識の感覚でいるくらいなら、ただただ『無』になりたかった。

「あなたを『うつー人』として覚醒させるのが私の役目なのです」

メラン大佐の声がくぐもって聞こえる。
耳鳴りがして、頭痛が強くなってくる。
音が強くなり、だんだんと声に変わってくる。

「山田は」

「山田が」

「山田って」

呼ばれている。
誰かが僕の話をしている。
きっと悪口だ。
きっと失敗を責めてる。
きっと、ダメなところを指摘しているんだ。
声が笑い声に変わる。
トーンがだんだんと甲高くなっていく。
もはや人間のものとは思えず、悪魔の笑い声にしか聞こえなくなった。
頭痛は頭がい骨にまで響きはじめた。

「つらそうですね」

まるで遠くから話しかけられているように声が遠く感じる。

「少々、辛抱してください。処置をしましょう」

おぼろ気にそう聞こえた。
僕は呼吸をするのも苦しくなっていた。
宇宙人来訪の理解不能な状況はどうでも良かったが、この症状を治めてくれることは大歓迎だった。ワラにもすがる思いだ。
メラン大佐は目を閉じ、大きく見開いた。
額から生えてる触覚を片手で強く握っている。
そしておもむろに、その先端の丸くなっている部分をいじり始めた。

「コリコリコリコリコリコリコリ」

「うわわ、ちょっとちょっと。どーしたの急に」

メラン大佐は触覚をいじり続ける。

「コリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリ」

「ヤバいヤバい、今やっと純粋にちょっと怖い!」

メラン大佐はこっちを見ているが、焦点はどこかに飛んでいる。

「コリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリ」

「あら!?か、身体が動かない!?」

僕の身体は金縛りにあったように動かなくなっていた。

「コリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリコリ・コリックゥゥゥ!!!!

「なんなのそれ!?必殺技!?」

メラン大佐が叫んだ瞬間、部屋が光に包まれた。
放たれた光で部屋中の影という影が消し飛ぶ。
かろうじて見えるメラン大佐の輪郭が、虹色に伸び縮みして歪んでいる。
光が強くなる。目をつぶっても白さが全てを塗り潰した。





























 『上を見なさい』





























ふいにそれが浮かんだ。
それは白い光の中に文字として見えたようにも、声として耳に入って来たようにも、意識として浮かんできたようにも思えた。

上を見ろって。天井ならずっと見てる。

寝転んでいた僕は、すぐに気づいた。
最近は自分の足元ばかりを見ていた。
上を見ることなんか、しばらくしていない。

光が消えていた。
メラン大佐が小さくうなずく。
金縛りが解けていた。
身体が自由になったことに、小さく喜びを感じた。
ゆっくりと、何とか身体を起こした。
あぐらをかく。
感覚はにぶいままだ。
猫背になっているのが鏡を見なくても分かる。
当たり前のようにうな垂れた体勢を取っていた。
顔を上げる。
ゆっくりと背中をそらし、首を後ろにかたむけた。
背骨がぴきっと音を立て、上半身が天を仰ぐ形になった。
深く、息を吸い込む。
連動して肩や腕、肩甲骨のあたりが伸びていく。
大きく息を吐く。
もう一度、息を吸う。
首をひねった。
また音が鳴る。
腰が痛いことに気づいた。
上半身をひねる。
心地よく筋肉が伸びていく。
僕は、ごく自然に身体を動かせていた。

「どうです?」

意識が目の前に戻る。メラン大佐が立っていた。

「痛みが、治まってきた…」

頭痛は確実にやわらいでいた。

「さっきの、あの言葉、文字みたいな、声みたいなのは?」

「光の中で感じたのは、あなたの中の『うつー』から発せられたものです」

少し落ち着いたのか、もしくは気が高ぶったのか、僕はようやく、疑問に思うことを口に出せた。

「ちょっと待って、僕の中のうつーとか、うつー人とか、さっきから意味が分からないんだけど」

メラン大佐は腰を落とし、スマホを取り出した。

「現在、地球にはあなたと同じように『うつー人』に目覚めつつある人種が激増しているのですが、地球人が構築した社会という制度の元で、『うつー人』は厄介者のように、害あるものとして認識されてしまっています」

スマホの画面から飛び出した光の線が、空中に様々なグラフを立体的に描いている。

「我々は、そんな地球から生まれつつある『うつー人』が淘汰されないよう、『うつー』を自覚し、受け入れ、自由に使いこなせるための手助けを使命としているのです」

メラン大佐はまっすぐにこっちを見た。

「なんで、わざわざそんなことを?」

僕は、やっぱり気が高ぶっていた。

「地球なんて、ってか人類なんて、自然は破壊するし、争いは絶えないし、みんな自分のポジションを獲得することに必死で、他人の足を引っ張り合うような存在でしょ?なんなら滅んだって文句も言えない。地球のことなんか別にどうでも良くない?」

僕の頭の中に、会社の人間の顔が浮かんでいた。
明らかに個人的な怒りが沸いてきていた。

「確かに現在の人類はかなり危険な所まで来ていて、星雲局の中でも地球を見限る声が出ているほどです。これは銀河史上でもかなりレアなケースだと言えます。レア・チーズ・ケースです」

「うわ、なんかくだらないの挟んできた」

 

スマホから、レアチーズケーキの映像が飛び出している。

「ですが、山田幸夫氏。人類の今後を決める重要なキーポイントに、地球に存在するうつー人の覚醒が大きく関わっています。今後のうつー人の動向で、地球が良い方向に進んでいく可能性は非常に高いのです」

メラン大佐が僕を指差した。

「今、頭痛が治まったのは一端にすぎません。今後、様々な兆候が現れます。それはあなたを悩ませるものが多く、頭痛も油断をすればまた出てくるでしょう」

そう言われた瞬間、心臓の音が大きくなった。
遠くから耳鳴りも近づいてくる。

「安心してください。それらの『うつーのサイン』を、自らの血肉に変えるために我々は存在するのですから。と言う訳で」

メラン大佐が三つ指をついた。妙におしとやかな動きだ。

「しばらくこちらでお世話になりんす」

「ここに住むの!?」

メラン大佐は立ち上がり、UFOに向かった。

「もちろんです。部屋は恐ろしいほどに狭く、不衛生で居心地悪いことこの上ないので、共に歩んでいくには申し分ありません」

「ホントは日本語を完璧に把握してるだろ」

メラン大佐はUFOのヘコんだ部分を触っている。スマホを口元にあてた。

「こちらメランです。ターゲットとのコンタクトに成功しました。はい。しかし、説得するまでにかなり暴れまして、UFOの下部に蹴りを入れられ大きくヘコんでしまいました」

「また普通にウソついてる!」

スマホを奪い取ろうとすると、メラン大佐は僕の顔を腕で押さえつけてきやがった。

「えぇ。すこぶる凶暴です。大丈夫です、問題ありません。UFOの修理は星雲局での公式メンテナンスで申請してください。間違っても私の給料から天引きにならないよう頼みます」

「ウソですよ!着陸に失敗してUFOをヘコませたのはこの人ですよ!」

「ワー!ワー!ワー!違います!ターゲットは錯乱しています!」

「誰も錯乱してないわ!最悪だ。この宇宙人、最悪だ。なんか変な触覚つけてるし」

「これは、あれです、個性です!言っておきますが、日本の少年マンガだってシルエットだけで主人公が分かるようにデザインされてるんですよ!オリジナリティとしての触覚です!差別化です!」

「知るか!よけいな地球の知識をひけらかす前に、虚偽の報告を訂正しろ!さもなければ宇宙に帰れ!」

「帰りませんー!この豪華絢爛な家屋内で優雅にすごしますー!」

「皮肉を言えるくらいの言語レベル習得してるじゃんか!ほら帰れ!このコッテコテな古くさいデザインのUFOで今すぐに!なんだコレ、UFOの屋根にも触覚みたいなのついてるし。ダサいわー。ブチ折ってやる!!」

「あぁ!?そこは大切なパーツだからやめてください!本当に帰れなくなります!やめてぇぇぇ!!!!」

こうして、僕とメラン大佐の日々が揉めながら始まったのだった。














【 うつになったら、上を見るしかない】














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